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詰め込み教育論(2)

 詰め込み教育には基本的に反対の立場である私でも、指導上、必要ならば“詰め入れ”を行います。たとえば英語の不規則動詞など、まずは“詰め入れる”しかありません。grow の変化を覚えたなら、throw や know なども覚えやすくなるでしょうが、これは少し詰め入れてみてから判る事です。
 その詰め入れに対応できる(どんどん記憶して行く)子も居れば、そうでない子も居ます。どうしても、差が生じます。100メートルを走る時間に個人差があるように、脳の機能の高さにも個人差があるようです。
 しかし、詰め入れへの対応が余りにも鈍い(ちっとも記憶が増えて行かない)子は、単に脳の機能が低いとは言えますまい。はじめから何も覚えようとしていない、としか思えません。ちょうど、100メートルを「走れ」と言われているのにグズグズ歩き、2分かけるようなものだと見えます。つまり、持てる機能を発揮し(ようとし)ていないという事です。
 そのような子は、世の中の約束事を軽視しているか、これに鈍感であるように思われます。文明社会において、これは困ります。何故困るのかは、“世の中の約束事”および“自然とは?”から“文明的ストレス”までの一連の文章によって明らかでしょうから、ここに再び書く事はしませんけれど。
 
 さて、私は「詰め込み=雑学」と思っていますが、上記のように考えるので、雑学の量を試験によって測る事が完全に無意味だとは思いません。それは曲がりなりにも、脳の機能の高さや文明社会への適応傾向(造語)を測定していると見做せると思うのです。
 無論、試験で人の能力が全て測定できる訳でない事も、忘れてはなりませんが。
 
続く

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