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福沢諭吉、ルソー

“天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり”

 この文句は小学生でも知っている。私も小学生の時に教わり、平等思想として印象付けられた。ご丁寧に、中学校でも重ねて教わった。この時も、平等思想として印象付けられた。
 腑に落ちなかった。
 平等思想なら、何故その本の題が「学問のすゝめ」なのか? 「学問のすゝめ」と言うからには、皆さん勉強をよくしなさいよ、という主題ではないのか?
 とりあえず、教わった通りに覚えておくと試験ではマルがもらえるが、正直に言って、釈然としないままで居た。
 
 長じて、岩波文庫の「学問のすゝめ」を読んでみた。それによって疑問は氷解したが、新たな疑問が、いや、疑念が生じた。
 
 小中学生の頃に思っていた通り、やはり「学問のすゝめ」は平等思想を説いたものなどではなく、よく勉学に励みなさいよ、という主題で貫かれていた。
 それなら、何故“天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり”が冒頭に必要だったのか?
 読んでみて判ったのは、「万人が学問を身に付けないと国がうまく機能しないから、身分の上下に関係なく、皆学問に励むべきだ」という事だった(私はそう受け取った)。「誰でも本来平等なのですよ」という‘生ぬるい’メッセージ(学校で教わったときは、そのような印象だった)とは懸け離れていた。
 それにしても、何故、長い文章の前後関係を無視して引用するのだろうか? これでは本来のメッセージと、下手をすると180度違う意味に取られてしまう事もあるだろうに。それに、こんな事を学校教育において堂々とやって良いものなのか?
――という事が、「学問のすゝめ」を読んでみたとき私に生じた疑念である。
 
 そして同様の疑念は、ルソーの事を調べた時にも生じた。
 私はルソー(JEAN-JACQUES ROUSSEAU)の「告白(CONFESSIONS)」を読んでみて、彼が暴力革命を望んでいたとはとても考えられなくなった。しかし、あの血生臭いフランス革命において、革命家達はルソーの著作を引用した。
 
続く

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