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論語の恣意的拾い読み

 要点を覚えれば、それを基にいろいろな事が判る、と言う。それは間違いない。しかし、見落とされがちだが、いろいろな事が判っているから要点がつかめる、という事も間違いない。
 実は、要点を捉えるという事は、学習の最終的な段階である。最初から要点を捉えようとし、要点の周辺(要点の要点たる所以)に無関心であると、物事は何も理解できずに終わる。認知科学ではトップダウン・ボトムアップと言うらしいが、ボトムアップを繰り返してはじめて、トップダウンが可能になるのである。指導者の役割は、速やかにトップダウンが出来るようになるよう、適切なボトムアップ(の過程)を選んでやる事だろう。トップダウンを指導する事も勿論あるが、学習の初期の段階では無駄である。
 
 要点‘だけ’に注目する学習――それによって得られるのは、膨大な誤解と無理解を伴う知識だけであろう。もっとも、それだけで済めば、まだいい。
 場合によっては、ある主張を立派に見せる為に、その主張にとって好都合な一部だけを要点と称するという、ひどく恣意的な行為に及ぶ。現にそのような行為によって、S君は英語の学習を拒否する事を正当化した。また、「学問のすゝめ」は平等思想にすり替えられてしまい、ルソーの残した言葉は暴力革命に引っ張り出されてしまった。
 これが許されているなら、私は次のように主張しよう。
 
 論語は、民主思想を説いた、と。
 
 その根拠は、葉公問政。子曰、近者説、遠者来≠ナある。
 
葉公政を問う。
子曰く、「近き者説び、遠き者来る。」
しょうこう まつりごとを とう。
し いわく、「ちかきもの よろこび、とおきもの きたる。」

 如何であろう。
 

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