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詰め込み教育論(4)

 とは言え、数学(算数)で公式に頼ることに、利点が無い訳ではありません。むしろ、いろいろな利点があります。
 その利点の一つは、取りも直さず、「公式に従いさえすれば、誰でも値(答え)を出せる」事です。深く(浅く?)考えなくても、とりあえず誰でも計算できます。この意味で、極端な言い方をすれば、
 
公式は、馬鹿の為にある

のです。
 と言うより、そもそも公式は、深く考えなくて済むように(機械的に計算が出来るように。言い換えると、思考を形式化し、作業能率を上げる為に)作っておくもの、という側面を持っています。私も、自分で導き出して、さらに関数電卓にプログラムしておいて利用している公式が、幾つかあります。導き出すまでは大変ですが、それが済んでしまえば、もう深く考える必要は無くなります。変数に値を代入するだけです。要するに、馬鹿に成りたいから公式を作ったのです。毎度々々あんな計算をやっていられるほど、私は頭が良くありませんから。
 もう一つ利点を挙げておくと、公式と言いますか、式を用いて法則や定理を表す事によって、簡潔・明瞭になり、抽象性が高まります。そして、これによって初めて法則や定理の本質が表される事が多いです。数学や理科では、公式は不可欠なものです。
 
 しかし、既存の公式に頼るばかりで、しかも各公式の導き方・意義・適用範囲等について無思慮であると、
  • 公式に当てはまらないときは、何も出来ない
  • 考える習慣がないから、何も出来ない
  • 公式が適用できない場面であるにもかかわらず、強引に当てはめてしまう
などという事態に陥り易くなります。公式に頼ってはいけない訳ではありませんが、その公式の奥にある本質、他の公式との関連、そういったものを意識するような習慣を、つまり知識を深めて体系化する習慣を持って欲しいです。そうすれば、単なる詰め込み学習で終わる事は無いでしょう。
 残念ながら、式(公式)を見てさえいれば定理や法則の本質が判る、というものではありません。それは、意識的に読み取ろうとしなければ、見えて来ないものです。詰め込みとは、それを読み取ろう(読み取らせよう)としない勉強のしかた(させかた)であり、量は無関係です。
 そして試験。単なる詰め込み学習で対応できてしまうような試験が主流である現状を、変えて行くべきだと思っています。「雑学の量を測る事が全く無意味な訳ではない」と、すでに述べてありますが、だからと言って「雑学の量=学力」に成ってしまっている現状には、不服です。
 実際、ある予備校は、「学者肌の人間は入試には不利」と、広告にハッキリ書いていた事があります。ガサガサと詰め込んだだけの人の方が、詰め込んだものを知識として体系化しようと熟考している人より、試験では有利なのが現実なのですね。だから、別の頁に書いた「だったら、いい学校を出た人なんて、信用するもんじゃないですね」というのは、かなり本気なのです。
 
続く

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