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総合学習について(2)

 総合学習については、ここで結論を書いてしまいますと、このまま続けるなら続ければいいし、廃止するなら廃止すればいい。要するに、どっちでもいい存在だと、私は思っています。以下、その理由を述べます。
 
 学校教育(特に初等教育)において、教科が幾つかに(幾つもに)分けられているのは、教える上での便宜に過ぎない、と私は考えます。
 そして教育(特に初等教育)の目的は、本来、未熟な存在の生きる力を育てる事、つまり総合学習の理念だと考えます。
 従って、全ての教科は、総合学習の理念を以って教えられねばなりません。そればかりか、学校生活そのものが総合学習の理念で貫かれていなくてはなりません。私はそう考えます。
 
 それが何故、殊更に「総合的な学習の時間(=生きる力の育成)」などというものを創設する必要があったのでしょう? 受験を意識し過ぎていて、教育本来の目的を見失っている教師が増え過ぎたからでしょうか? いや、そんな気もしますけどね。
 更に疑問なのは、一般の(総合学習以外の)授業は、生きる力に結び付かなくても良い(つまり、教育でなくても良い)という事でしょうか? ひねくれた見方かも知れませんが、たとえば実際、学習指導要領の「総合的な学習の時間」に関する規定に、
学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにすること
とあります。しかし、これは教育者として当然の目標であって、これが総合的な学習の時間ならではの狙いだとしたら、もはや私には理解不可能! やっぱり、一般の授業は教育的でなくても良いのですか? と、嫌味っぽく言いたくなります。どうにも胡散臭くてかないません。
 
 また、総合学習の授業が、現場で実際にどれだけ活かされているかも問題です。子供達から話を聞く限りでは、然程活かされている様子ではありませんが、これについては私には断言は出来ません。
 ただ思うのは、総合的な学習の時間を活かす事ができる先生なら、実は普段の(総合学習以外の)授業も「生きる力」に結び付くように展開させているのではないか、という事です。
 逆に、普段から「生きる力」とは無縁の授業しか展開していない(機械的事務的に仕事をこなしている)先生では、総合学習なんて言われても、その趣旨に沿った教え方が出来るとは、ちょっと考えられません。もともと教育の目的を理解していないのだから、総合的な学習の時間だって、ただ形式的に仕事をこなして終わってしまうのではないでしょうか。
 
続く

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