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言語教育と情操教育(2)

 しかも、その情操教育が情操教育に成っていない。国語の試験を受けてみれば、それが判る。
 よく「この時の筆者の気持ちを書きなさい」などという問題が出るが、文中に気持ちがハッキリ書かれていないからこそ出される問題である。そして、ハッキリ書かれていないのだから想像して答えるしかない。想像であるからには、答えは一様には成り得ない。
 それなのに、模範解答がある。キミの答案には、こういう要素が盛り込まれていないから減点、などという事になる。
 どうしたら、配点された五点を“満額”獲得できるか。
 それには、筆者の気持ちを正面から考えずに、出題者の意図を読み取ることである。出題者の推量を推量して、ズバリ当たっていたらマル。めでたしめでたし。

 これが鑑賞か? 情操教育か?
 思うに、言語教育と情操教育を分けておかないから、こんな馬鹿な事になるのだ。鑑賞なんて、まずは好きなようにすれば良い。ところが言語教育でもあるから、ああでないとイケナイ、こうでないとイケナイ、となる。そういう国語教育のせいで文学が嫌いに成った人は、きっと居る。


 これに関連する話を二つ。
 中島みゆきはミュージシャンだが、実は高校の国語教師になるつもりでいた。ところが教育実習に行った時のこと。一人の女生徒が、「先生、さっきのこの問題なんですけど、私はこう解釈したので、こう答えたんです。いけないんですか?」と来た。教師の卵は思った。「間違ってない。でも、『それでも正しいよ』と私が言えば、この子は受験で不利になる」。そして、「私には、国語教師は務まらない」。
 作家玉岡かおるの娘が、通っている学習塾で国語の試験を受けた。「お母さんの書いたのが、問題に出たよ」と言うので、見てみた。読解問題で、模範解答を読んで、「へぇ、こんなふうに解釈される事もあるんだなぁ」。
続く

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