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個人主義が成り立つ背景

 これは、どこかで聞いた事なのか、何かで読んだ事なのか、それは残念ながらハッキリ記憶していない。
個人主義という考えは、キリスト教文化圏で発生したものであり、これが正常に機能するのもキリスト教文化圏においてである。全知全能の神が万人を常に監視している、という環境だからこそ、個人を最大限に尊重しても、個人が異常膨張したり暴走したりする事はない
 これに基づく私の考えは、以下の通り。

 日本でも「お天道様が見てるよ」とは言うものの、どうもこれは、全知全能の神と比べると威厳が無い。だから日本では、「個人主義」などと軽々しく子供に教えるべきではないだろう。「子供の権利条約」などというものもあるが、これも白人が作ったもの(であるはずだ)。それを文化的背景も考慮せずに「批准せよ」なんて無茶な注文だと言わざるを得ない。
 いずれにしても、日本では「個人の尊厳」だとか「自由」だとか「権利」なんてものを子供に教えれば、子供はこの言葉を理由に我が侭・勝手を通そうとするようになるに決まっている。あるいは、「個性の尊重」などと教えれば、これによって教育を受け付けない事を正当化するだろう。
 少なくとも、その恐れが大きい。なにしろ人間誰しも、何事も自分に都合が良いように解釈したがるものである。現に私は、今までに何度も、子供(生徒)に“権利”という名のオブラートに包まれた我が侭を飲まされかけている。
 厄介な事に、子供はそれに無自覚だ。本気で「自分には大きな権利がある」と思っていて、大人に食って掛かる。これを諭すのは大変である。全ての子がそうだ、という訳ではないにしても。
 個人主義については教えるな、とまでは言わないが、社会性が充分に育ってからでないと危険なのは間違いない。もし教えるなら、「個人主義は、相手の尊厳・相手の権利を尊重する思想だ」と教えるべきだろう。誰しも、自分の尊厳・権利なんて、言われなくたって尊重しているはずなのだから。

 結局、何の事はない、己所不欲勿施於人(己の欲せざる所は人に施す勿れ)≠ニいう論語の言葉に行き着いたようである。

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